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実録山の辺の道
を歩く
後編

Part 1後編は
黒塚古墳から

黒塚古墳三角縁神獣鏡が出土した
三世紀後半から四世紀前半頃の前方後円墳

本日は山の辺の道の後半として、黒塚古墳からスタートしましょう。前半(Part.1)は、桜井市が中心でしたが、本日は天理市になります。天理市には、とてもたくさんの古墳があり、天理市のサイトをみると27もの古墳の存在が明らかになっています。その一つ、黒塚古墳は、推定ですが3世紀後半から4世紀の前方後円墳とされており、当初の姿を良好にとどめています。静かで緑が豊か。登れるのもいいですね

古墳の周囲を巡り
黒塚古墳展示館へ

のどかだけど、実際、古墳って何が面白いの?
想像力をたくましくしないと面白くないかもしれませんが、黒塚古墳は、入館無料の展示館があり、想像力を助けてくれますので、入ってみましょう。古墳から出土した33面の鏡のレプリカや竪穴式石室の模型がありますね。

金ぴかの鏡がある!持つと重いね。
館内の方の説明では、出来た当初はそんな風に金ぴかだったみたいですね。それが酸化して、見慣れた青銅のような色になるようです。重さは1キロ、裏側に中国の吉祥句を記した文章や霊獣などが書かれ、周縁が山型にとがるような形をしていたため、三角縁神獣鏡と呼ばれています。2017年に初めてレプリカでなく本物が公開されたようですよ。

崇神天皇陵(山辺道勾岡上陵)第10代崇神天皇の陵とされる巨大前方後円墳

大和朝廷の創始者といわれる第10代崇神天皇の陵墓とされる古墳。古墳自体の全長は約242mもある雄大な前方後円墳。

崇神天皇陵の拝所を参拝

こちらは第10代天皇である、崇神天皇のお墓とされている古墳で、全長242mの大きな前方後円墳です。2代後の景行天皇陵が全長300mなので、それよりは少し小さいですが、崇神天皇は、政治的手腕にたけ、原始的な小国家を統一して大和政権を確立したとされる重要人物です。古事記では、この天皇の時代に病気が流行して、民が死に絶えそうなったので、天皇が神託を仰ぐと、三輪山の神、オオモノヌシノオオカミが出てきて、「それは自分のせいだ。オオタタネコを探し出して、祀ったら鎮まる」と言ったと語られています。古事記ストーリー 3
神様なのにたたるの?ひどくない?
そこが古代信仰の特徴ともいえます。神様と自然は重なっていますから、自然災害が起きるように、災いを起こすのも神様、多くの実りをもたらし、命を育むのも神様、という考えを持っていました。思うに崇神天皇は神様が恐ろしくなったのでしょうね。それまで宮中に祀っていたアマテラスオオミカミを宮中の外でお祀りすることにし、伊勢神宮が始まるきっかけをつくったのもこの天皇ですよ。

長岳寺つつじやカキツバタが美しく咲く花のお寺

長岳寺は、関西花の寺25か所の一つで、5月上旬に見ごろとなる平戸つつじが一番有名だと思いますが、今は、池を彩るカキツバタの季節です。素晴らしい群生で、畔のオオデマリも満開です。
(訪問日:2017年5月10日、2019年5月11日)

鐘楼門をくぐり
花の園となる境内へ

水面を彩るカキツバタが見事ですね。ところでカキツバタ、アヤメ、ハナショウブの違いわかりますか。
いずれがアヤメかカキツバタっていうよね
カキツバタ、アヤメ、ハナショウブともにアヤメ科で見分けがつきにくいのですが、カキツバタは水辺に咲く、アヤメは陸上で咲くことを覚えておけば比較的簡単です。ハナショウブは湿地に咲くので、ややこしいけれど、ちょっと花が大きい。それに花弁の根元が黄色く、アヤメのような網目もようになっていない、ことで見分けがつきます。ちなみに菖蒲湯のショウブとハナショウブは別物です。

パンフレットにお寺は弘法大師が大和神社の神宮寺(じんぐうじ)として建てた、と書いてあるけど、神宮寺って?
神宮寺は、簡単に言うと、神様の力を助ける寺で、神仏習合の思想を背景に、奈良時代の初めから平安時代にかけて多く建てられました。このような神様を守る神宮寺もあれば、寺を守るために守護神を祀る神社が建立されるケースもあり、神と仏は、互いに助け合う存在なのです。長岳寺のご本尊は、阿弥陀如来というのが面白いですね。阿弥陀様は西方浄土におられ、極楽浄土に導く仏様。こちらは、人間向けですね。