古事記

神様と人が交錯する
日本人のアイデンティティが詰まった物語とともに

山の辺の道編

イザナギ、イザナミの男女ペアの神様が、日本の国と地上をつかさどる様々な神様をお生みになる、という話から始まる古事記は、上巻は神様の物語、中、下巻は、歴代天皇の物語。先に進むほど神様との関わりが薄れていく展開となる。
ファンタジーのようにも見えるが、ここには今日に至る日本人のアイデンティティに関わる多くの事柄が示唆されている。自然に様々な神様が宿り、自然は畏怖すべきものであること。天上の太陽神、アマテラスオオミカミ(天照大御神)の子孫が地上に降臨して天皇となり、神武天皇を初代として今日に至る、こと。もちろん、天皇を現人神と呼んでいた戦前とは、価値観は違うが、やはり、神社に手を合わせパワースポットが流行るところをみると、現代も日本人は多くの神様(西洋のように絶対神ではなく)を信じている(?)ようだ。そんな古事記の物語に彩られたスポットが、山の辺の道にはたくさんある。古事記の物語の時系列優先で、スポットを並べてみた。

古事記ストーリー ~その一~国造りを成就させた神様は
大和がお好き

オオクニヌシノミコトが、これまで国づくりを手伝ってくれていたスコナビコナノカミという小さな神様に去られて困っているところへ、海のかなたから神やってくる。その神曰く「自分を大和の青々と垣をめぐらしたような山々の東の山頂に祀れば国造りに協力してやる」。そこで、三輪山に鎮座される神となった。(古事記上巻)

このお話に由来するスポットは…

大神神社

ご神体の三輪山には、鎮座する神が、オオモノヌシノオオカミ(大物主大神)。この神様は、まずオオクニヌシノミコト(大国主命)の国づくりを助けた神様として登場し、再び、第10代崇神天皇の御代に登場する。

大神神社について

古事記ストーリー ~その二~天つ神の子が、
大和で初代天皇になる

古事記中巻からは、神様から天皇の物語へと移っていく。冒頭は神武天皇の東征の話である。高千穂宮(宮崎県)にいた天つ神の子、カミヤマトイワレビコノミコト(後の神武天皇)は、同母兄とともに、天下を安らかに治めるのにふさわしい場所を求めて、東に向かう。各地を平定しながら近畿に入ったが、戦いで兄を失ってしまう。それにもめげず、和歌山県から奈良県へと進軍した。熊野の山の中では、悪神の毒気に気を失ったが、そこに神のご加護があった。タケミカズチノカミからは太刀が授けられ、タカギノオオカミからは、道案内役として八咫烏(やたがらす)が遣わされた。そのお蔭で、さらに荒ぶる神を鎮め、土豪を打ち滅ぼし、橿原の宮に(奈良県橿原市)入って天下を治めた。こうして、アマテラスオオミカミの子孫が、初代天皇になったのである。

このお話に由来するスポットは…

石上神宮

神武天皇が天から授かった太刀、フツノミタマを祀る。

石上神宮について

古事記ストーリー ~その三~三輪山の神の脅威と恋バナ

第10代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)のとき、伝染病が流行り、人民が死に絶えそうなのを憂いて、天皇が神の指図を仰ぐと、三輪山の神、オオモノヌシノオオカミが現れ、「オオタタネコによって、私を祀らせたならば国はやすらかになる」と仰せられた。そこで、天皇は、オオタタネコを探し出して神主とし、大神神社を祀り、平穏となったのだが、ここにオオタタネコの出生が語られる。オオタタネコの母はイクタマヨリビメという美しい姫。彼女の元には、夜ごと通う立派な青年がおり、いつの間にか懐妊する。両親は驚いて、「あなたは夫もいないのになぜ身ごもったのですか」と聞くと、「名前も分からない美しく立派な男が夜ごと、わたくしの元へ通ってきます。すると自然に子を孕んだのです」と姫が答えた。それならば、と両親は娘に策を授けた。
「糸巻きに巻いた麻糸に針を通し、男の衣の裾に通すのです」。
姫が教えられた通りにすると、翌朝、麻糸は戸の鍵穴から抜け出ており、美和山の神の社に続いていた。そこで、男が神なのだと知った。糸巻きには三匂(みわ:三巻き)の糸だけが残ったことから、この地を「三輪」と 呼ぶようになったという。(古事記中巻)

このお話に由来するスポットは…

大神神社

大神神社の参道にある夫婦岩はこのお話を伝えるとされる二つの岩が寄り添っています。そこは縁結び・夫婦円満のご利益のあるスポットとなっています。

大神神社について

崇神天皇陵

第10代天皇、崇神天皇の陵墓とされる古墳。古墳自体の全長は約242mもある雄大な前方後円墳です。

崇神天皇陵について

古事記ストーリー ~その四~英雄、ヤマトタケルノミコト、
望郷の歌を詠む

第12代天皇、景行天皇(けいこうてんのう)には、たくさんの腹違いの息子があった。その一人、ヤマトタケルノミコトは、ある時、景行天皇の命に背いた兄を「諭せ」と命令され、殺害する。そのことを悪びれないヤマトタケルノミコトに脅威を感じた景行天皇は、近辺から遠ざけるため、全国各地の平定を命ず。荒くれ者を成敗し、凱旋してもまた、地方の平定を命ぜられる。大和の国に落着けない境遇を嘆くヤマトタケルノミコトは、結局、旅先で死んでしまうことになる。死期を悟った時、彼は「大和は国のまほろば…」で始まる哀切な望郷の歌を詠み、死後は、その魂が白鳥となって、飛んで行ったという。

このお話に由来するスポットは…

檜原井寺池畔

檜原井寺池畔には川端康成揮毫のヤマトタケルノミコトが詠んだ望郷の歌の歌碑があります。

景行天皇陵

ヤマトタケルノミコトの父とされる第12代景行天皇の陵墓とされる全長約300mある雄大な古墳です。

景行天皇陵について

古事記ストーリー ~その五~恋のさやあてが生んだ悲劇

大和川があり、大阪から遡ってくる川船の終点でもあった古代の交易の中心地、海柘榴市(つばいち)は、日本最古の市が立ち、歌垣という男女の交流の場でもあった。古事記下巻では、第25代武烈天皇が皇太子時代に、時の権力者、平群(へぐり)大臣の息子、鮪(しび)と影媛(かげひめ)という女性を巡って争う様が、歌垣における歌の掛け合いで語られる。この恋のさやあては、それだけに留まらず、皇太子が平群氏を滅ぼす結果となった。日本書紀の方では、影媛が、恋人である平群鮪(へぐりしび)の葬列を半狂乱になって追いかけるという、悲劇も描かれている。

このお話に由来するスポットは…

海柘榴市(つばいち)
(現在の桜井市金屋付近)

現在の大和川のほとりにあった市場のおこりとされる場所です。

海柘榴市について