実録山の辺の道
を歩く
前編
Part 3狭井神社から
元伊勢と呼ばれる
檜原神社まで
狭井神社から少し丘を登ると大美和の杜展望台の素晴らしい眺望が広がります。
大美和の杜展望台素晴らしい眺望が楽しめる
大神神社の大鳥居、大和三山から二上山までの眺望が広がる展望台です。春は桜が美しく、眺望に彩りを添えます。
大和三山が見える
眺望抜群の大美和の杜で
- 花見も出来て素晴らしいところでしょう
- 花も景色も結構だけど、山っていうほどの山ある?
- 日本アルプスみたいな高い山ではないけれど、古代の人にとっては、大きな山だったはず。香具山、畝傍山、耳成山を大和三山と言いまして、万葉集にはこの三山が「妻争い」をするというような歌があります。つまり、三角関係の歌ですね。作者は天智天皇で、弟の天武天皇とは、才媛の美女、額田王を挟んで三角関係にあったとされています。後に天智天皇の娘が天武天皇の后になり、夫の死後、彼女が跡を継いで持統天皇となり、この三山に囲まれた地に藤原京を造りました。万葉歌碑番号 48
- 一夫多妻って、大変そう
玄賓庵玄賓僧都が隠棲したとされる庵
平安時代の初期に高徳僧で名医であったともいわれる玄賓僧都が隠棲した庵。明治時代に現在の場所に移された。
高僧の隠遁所、
玄賓庵(げんぴあん)
- 平安時代初期、高徳僧、玄賓僧都が隠棲したと伝えられるところです。のどかな山の辺の道にふさわしい場所ですが、もとは三輪山の檜原谷にあったものが、明治の神仏分離で現在地に移されたそうです。謡曲「三輪」には、玄賓と三輪の神様のやりとりが語られています。
- お坊さんなのに神様と話すの?
- 仏教伝来後の日本の宗教観は、長く神仏習合、つまり神道も仏教も互いを受け入れる考え方でした。名だたる寺の近くには、寺の守護神を祀る神社があったりします。それを大きく変えたのが明治政府による神仏分離でした。名前の通りだと神と仏を明確に分かつ、ことですが、実際は神道を重視して、仏教排斥の政策でした。でも現代の日本人は、やはり神仏習合的な感覚ですよね。
- じゃあ、初詣でに神社と寺をかけ持ちしてもバチ当たらないね!
檜原神社天照大御神を祀る神社
天照大御神を祭神とし、「元伊勢」と今に伝えられている神社。大神神社の摂社。
元伊勢と呼ばれる
桧原(ひばら)神社
- 何か清々しい神社だね
- こちらは、元伊勢とも呼ばれている檜原神社です。元伊勢の由来は、日本書紀(古事記と並ぶ日本の歴史書)には、第10代天皇、崇神天皇が、それまで宮中に奉祀していた天照大御神を、皇女豊鍬入姫命(とよすきひめのみこと」に託して宮外(大和国)に移し祀らせたとあり、その場所がここではないかと言われています。このとき以来、皇女が斎宮を務めるようになり第二代斎宮の倭姫命(やまとひめのみこと)のときから、伊勢の国で天照大御神を祀るようになりました。
なので、ご祭神は、天照大御神。見どころはこの独特な形の三つ鳥居。真新しいですが、由来は古い。1300年前から始まったとされる伊勢神宮の式年遷宮(20年に一度、社殿を造り替え、神様の住まいを浄める)が、2013年(第62回)に行われたとき、その古材を拝領して建て替えられました。古材といっても流石、立派で美しいですね。その左手は、豊鍬入姫命(とよすきひめのみこと)の御霊をお祀りしています。